湯立(湯華)神楽
湯華神楽 (鎌倉神楽) 八月十七日 例祭日に奉奏
鎌倉時代初期より鶴岡八幡宮の神楽男によって伝えられた神楽で、当宮にて演じられているのは二人舞を含め十二座が伝承されている。
この神楽は、私たちの日常生活の中の守護神である「産土神・火の神・水の神」の三神を神楽の場に招き、神恩に感謝しつつ、
更に三神の御加護をいただく為に尊きお湯を神に供え、併せて無病息災を祈り、神人共楽の中にも諸霊を和め祭る神楽である。
現在、藤沢市重要無形文化財に指定されている。
湯立神楽の動画 |
神楽の構成
第一座
打ち囃子 (うちはやし)
この場において神楽を奏することを神々に祈念し、神楽の楽を調べ合わせる為に一通り楽曲を奏して奉仕者はもとより、参列者の心意を昂めるための所作である。
初能 (はのう)
神楽の聖域をととのえつくるため、白扇の上に神饌の白米を捧持し、これを四方に散供して稲霊の呪力によって、神楽の場に侵入しようとする邪霊や邪気(もの)を遠ざけて聖域に神霊の降臨を仰ぎ、神楽の滞りない進行を祈念する浄めの舞である。
御祓 (おはらい)
神楽の座及び神々の降臨を仰ぐ「ひもろぎ」となる山、お湯、釜をはじめ参列者を合わせて、ひろく「聖域」の清め祓ひで、神々の降臨を仰ぐためのお祓ひである。
御幣招き (ごへいまねき)
邪霊や邪気(鬼・もの)を遠ざけ清め祓ひも終えて、斎庭・聖域の正面に設けられた山(やま)、ひもろぎに神々の来臨を仰ぎ祈る神招きの舞である。
(神々は産土大神・火産皇霊神・水波能売神の三神である)
お湯 (おゆ)
山に来臨された神々を拝する最初の所作。「湯上げ」とも言う。邪霊を退け邪気を鎮め清められて、生れ出た尊い「お湯」を、まず最初に神々に献ずる所作。笹の「湯たぶさ」にお湯を浸けて、或は桶に移して、三神に献ずる静かな舞である。尚、用いる「湯たぶさ」は必ず生き生きした笹をもって作る。密生した笹むらが風も無いのに互いに触れ合ってサササ・・・とかすかに音を発する。この様子が神々の降臨を仰ぐ時の、依り来る神の出現の様子に似つかわしいとされることから用いられる。
中入れ (なかいれ)
以上で神楽の前段を終る。前段は祓の所作が中心で、生れ出た尊いお湯を献ずるまでの経過であって、奉仕の神職も後段の「湯立神事」に備えて狩衣を脱しての所作に移るため心気を整える。又、神楽の場に集う参列者にも撤下の神酒など分かち、お下がりをお受けすることで神気を直接に自分の体にいただき確実に納めようとするのである。
掻湯 (かきゆ)
湯華神楽(湯立神楽)のクライマックスである。神招きの祈念をこめた御幣を持って、煮え立っているお湯を掻き、釜底から立ち上がる「湯の泡」の様子で今年の豊凶をトする。沸騰し、気化した気泡を「湯華」という。
大散供 (だいさんく) (二人舞)
羽能の二人舞である。中入れ後の二座目の神楽で祓い清めの神楽である。羽織を着用し白扇の上に神饌の白米を捧持、二人で対角線上に舞いながら四方に散供をする神楽である。
湯座 (ゆぐら) (二人舞)
羽織を着用し、湯たぶさを執って四方に舞い、湯たぶさから発する「しぶき」は、この神楽の場に来臨された神々の息吹となって、この場に集う人々をはじめ、あたりに立っている樹木にも、草にも、小石にも振り注がれて、今年の豊作と豊漁、氏子・参列者の無事息災を祈念する舞である。笹舞いとも言う。
射祓 (いはらひ)
邪気を射祓ひ、邪悪を射据えて、招福除災を祈念し天の下平らけく氏子安らけくあるべきを祈念する、静かな中にも力強い舞である。弓矢の威力で悪魔を調伏する神楽で、この矢を授かると開運の御神矢としての信仰がある。
※ ここから天狗が天下泰平・無病息災を祈念する。
剣舞い (けんまい)
神楽の終段である。
赤面の神は鉾を執って進み出て九字を切り、五風十雨、雨風時に順ひ、豊年万作・大漁満足・天下泰平を祈念して気息を整え、醜(邪悪)を踏み鎮め、天地運行の乱れを正し、邪霊を鎮めて散供する。
毛止幾 (もどき)
途中より黒面の神が現れ、赤面の神の所作をまねたり、おどけたりして笑いを招きつつ座の雰囲気を和めながら散供する。そして参列者が心に平安と和らぎをとりもどし、平常心即ち普段の心の状態に戻り、新しく充実し、増進した生命力をもって、再び日常生活に励むようにさせるという「もどき」(真似をする意)の所作である。
※解説 藤沢湯立神楽保存会 会長 皇大神宮 宮司 関根 正統 識
人形山車
平成26年の人形山車
湘南ビデオネット様に撮影いただきました。
「山車の参道参進」と「山車の境内での引き回し・祭囃子競演」動画
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人形山車 藤沢市重要有形民俗文化財 八月十七日 例祭に参進
明治中頃に、皇大神宮の九つの氏子町内がそれぞれ製作したもので、三層式・総高約八メートルで人形が飾られ、また屋台には精巧な彫刻が施されており、県下で最も盛観を誇る。
整列の順は昔から決まっていて、宮の前(みやのまえ)の「那須与一」、上村(かむら)の「源頼朝」、清水(しみず)の「神武天皇」、宿庭(しゅくにわ)の「源義経」、苅田(かりた)の「徳川家康」、大東(おおひがし)の「楠正成」、仲東(なかひがし)の「浦島太郎」、原(はら)の「日本武尊」、堀川(ほりかわ)の「仁徳天皇」という順で、それらが境内に集まる。
人形山車の人形部分は、雨に濡らすことができないため雨天時には飾られず、山車部分のみの参進となる。朝から小雨状態の場合、各町内代表で協議が行われ、人形の飾りつけの有無を決定する。そのため、昼頃まで人形山車の詳細が不明なこともある。
余談だが、二〇〇八年例祭日はあいにくの空模様。この人形山車の見物目当てに例祭を訪れる人も多くおり、協議の結果山車部分のみの参進となったが、人形部分は境内の各町内山車小屋内に飾られた。